塾長あいさつ



「ゆとり教育」が改められます。
「詰め込み教育」の弊害が指摘され、その反省から、土曜日を休日としてまで学習内容を削減し
「生きる力」を育もうとした公教育の方針が、再び見直されることになったのです。

しかしながら、学習内容の多少を見直すだけで、はたして子どもたちの「生きる力」の伸長に寄与できるのかといえば、
必ずしも期待する結果とはならないでしょう。
なぜなら、「生きる力」を身につけさせることは「大人社会への準備」に他ならず、そのように考えれば、
学校は子どもたちの将来を見据えた「自立」に向けた鍛錬の場でなければならないはずです。
にもかかわらず、学校が鍛錬の場としての認識を喪失している感が否めない昨今において、
学習内容の多少を見直すだけで、学校の本来あるべき姿を取り戻すことができるのか疑問だからです。

やはり、学ばせる側も学ぶ側も、学校は将来の自立に備えた鍛錬の場であるという認識をしっかりと持つことが大切でしょう。
塾・予備校であれば、なおさら、このことを明確に認識しなければならないと考えます。 

こういう言葉があります。
「天賦の才能よりも自己の鍛錬が勝る」、生まれながらに持った能力の高さよりも、
自己を律した鍛錬のほうが、学業の結果を大きく左右するという意味です。
裏を返せば、学業の結果というものは鍛錬の賜物ともいえます。自己を律しながら最善を尽くす習慣を身につけることこそが、
学業の結果に大きく寄与し、厳しい「大人社会」で必要とされる素養なのです。
就職において学歴重視であったのは、学業の優秀な者は自己を律し鍛錬された人物と見なされたからにすぎません。
もっとも、鍛錬という言葉は、現代社会において、とりわけ子どもたちの社会においては嫌忌される言葉のようです。
しかし、学ばせる側も学ぶ側も、この言葉を避けた結果が教育現場の崩壊につながっているとするなら、
私たちは徹底して鍛錬という言葉にこだわり、この素養を身につける環境を提供すべきと考えます。
本当の「生きる力」とは、物事に対して常に最善を尽くす鍛錬の繰り返しによってのみ育まれるものと信じています。

万事、「備えあれば憂いなし」です。
ちなみに、私の座右の銘は「最善を尽くす」で、昇英塾の校是は「Always be ready.(常に準備を怠るな)」です。